瑞泉寺について

夢窓国師作 名勝瑞泉寺庭園

瑞泉寺の歴史

瑞泉寺は鎌倉公方(鎌倉府の長)の菩提寺(ぼだいじ)として、鎌倉五山に次ぐ関東十刹(かんとうじゅっさつ)に列せられた格式のある寺院です。山号の錦屏山(きんぺいざん)は、寺を囲む山々の紅葉が錦(にしき)の屏風のように美しいことから名付けられました。また境内は、四季を通して様々な花を楽しむことが出来ます。

開山の夢窓国師(むそうこくし)は、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)や足利尊氏(あしかがたかうじ)も深く帰依(きえ)した、鎌倉〜南北朝期に臨済宗(りんざいしゅう)で重きをなした僧です。作庭にも才を発揮し、昭和45年に発掘、復元された仏殿背後の庭園は、夢窓国師の作として、国の名勝に指定されています。
宗派 臨済宗円覚寺派
山号寺号 錦屏山(きんぺいざん)瑞泉寺
建立 嘉暦2年(1327年)
開山 夢窓国師(夢窓疎石)
中興開基 足利基氏

夢窓国師と瑞泉寺

夢窓国師(夢窓疎石) 夢窓国師(夢窓疎石)
瑞泉寺は、鎌倉二階堂紅葉ヶ谷の奥に、夢窓国師によって建てられました。夢窓国師が建立された寺、庵は、いずれも景勝の地が選ばれていることで知られています。 ここ瑞泉寺も風光明媚な環境の中に、鎌倉時代末期の嘉暦二年(1327年)に創建され、山号を錦屏山と申します。

夢窓国師(1275年〜1351年)は円覚寺開山仏光国師の孫弟子で、鎌倉時代から南北朝時代に円覚寺、南禅寺、浄智寺など五山の住職に就かれること八度、天龍寺、恵林寺など開かれた主なる寺六ケ寺、後醍醐天皇はじめ南北両朝の帝から賜った国師の号は七つ、これにより世に〈七朝の帝師〉と称えられました。

優れた「作庭師」という一面を持つ夢窓国師

国師は元来世俗の名利に遠い性格でしたが、その徳はおのずから広まり、多くの弟子はもとより、鎌倉時代には北条高時公とその母堂から深く尊崇され、南北朝の時代には後醍醐帝からも足利家からも帰依されました。南北朝の争乱の時代に、南朝の後醍醐帝の冥福を祈って北朝の足利氏が天龍寺を建てたことはよく知られています。国師の道力のなせるわざと申せましょう。足利尊氏公は敬って「仁山」の号を賜り、弟直義公は深く宗旨を問うて「夢中問答」を開版されました。そうした縁により、後に瑞泉寺は鎌倉公方足利家の菩提所となりました。

夢窓国師にはまた、すぐれた作庭家という一面もあります。国師の作庭された美濃の虎渓山永保寺や甲斐の恵林寺、京の天龍寺、苔寺の名で知られる西芳寺の庭園は今日、瑞泉寺庭園ともども、国の特別名勝・名勝に指定されております。

名勝瑞泉寺庭園

紅葉ヶ谷を囲む三方の山が天然の垣根をなし、わずかに開けた西の空に富士山を仰ぐことがこの地を選び、天台山、錦屏山を背景として、夢窓国師は庭園を作られました。

名勝 瑞泉寺庭園

鎌倉石の岩盤に地形に大いなる彫刻を施した「天女洞」

それは鎌倉石の岩盤に地形に応じ地質に即して巧みに大いなる彫刻をほどこした、鎌倉ならでは性格のものでした。境内の北の一隅の岩盤の正面に大きな洞(天女洞)を彫って水月観の道場となし、東側には坐禅のための窟(坐禅窟・葆光窟)を穿(うが)ちました。
天女洞の前には池を掘って貯清池と名づけ、池の中央は掘り残して島となしました。水流を東側に辿れば滝壺に水分け石があり、垂直の岩壁は滝、その上方をさらに辿れば貯水槽があって天水を蓄え、要に応じて水を落とせば坐雨観泉となるしつらえとなっています。池の西側には二つの橋がかかり、これを渡るとおのずから池の背後の山を辿る園路に導かれます。

 

二つの橋も数えて十八曲りに園路を登ると錦屏山の山頂に出て、私たちはそこにまた大きな庭と出会います。鶴ヶ岡から鎌倉周囲の山並みが幾重にも波状をなして重なり、遠くには箱根の山々がかすみ、右手に霊峰富士が大きく裾を広げる足下には、相模湾が自然の池をなしているのです、借景の大庭園の広がるこの山頂に夢窓国師は小亭を建て、徧界一覧亭と名づけました。

岩盤を彫刻的手法によって庭園となした「岩庭」

岩盤を彫刻的手法によって庭園となした、「岩庭」とも呼ぶべきこの庭園は、書院庭園のさきがけをなすものであり、鎌倉に残る鎌倉時代唯一の庭園なのです。

「天、尺地を封じて帰休を許す─天が私に小天地を与えて、心休まる時を下さった」と国師はこの風致を讚えておられます。また瑞泉寺については「瑞泉蘭若」と称されました。「蘭若(らんにゃ)」とは元来は梵語で「町村を去ること近からず遠からず、修行に適した所」の意ですが、転じて中国では官寺=公の寺に対して私寺を表すようになりました。「瑞泉蘭若」とは、ご自身が気に入って住まう庵、という意味になるでしょうか。

泉石草木の四気にかわる気色を工夫とする

瑞泉寺 天女洞など庭園の様子
国師はその著「夢中問答」で、山水(庭園)を愛するのは「泉石草木の四気にかわる気色を工夫とする」、つまり自身の心を磨く修行のためと述べておられます。難しいことはさておき、夢窓国師のこの庭園に対した時、あるいはこの境内全域に包まれている時、私たちは七朝の帝師の時空を超えた説法を、知らず聞いているのです。

なお、瑞泉寺境内を含む周辺地域は、鎌倉時代からの歴史的風土がよく保存されているところから、国の史跡瑞泉寺境内、また古都保存法による歴史的風土特別保存地区に指定されております。

文化財・ゆかりの文人

境内が史跡、背後の庭園が名勝に指定されているこの禅利瑞泉寺には、多くの文人が来訪し数多くの文学作品が創り出されました。 文学遺跡、文学碑と、ゆかりの文人をご紹介します。

主な遺跡/文化財

国指定重要文化財の木造夢窓国師坐像 国指定重要文化財
木造夢窓国師坐像
南北朝時代の頂相彫刻。
国指定名勝 夢窓国師作庭園 瑞泉寺の文化財
国指定名勝 夢窓国師作庭園
鎌倉にのこる鎌倉時代の唯一の庭園。国の特別名勝に指定されている。
徧界一覧亭 中世文学遺跡
徧界一覧亭
夢窓国師の草創で、五山文学の発祥の地となった。※非公開
吉田松陰留跡碑 瑞泉寺の文化財
吉田松陰留跡碑
1929年(昭和4年)に建立された徳富蘇峰の筆によるもの。
山崎方代歌碑 瑞泉寺の文化財
山崎方代歌碑
山門前にある山崎方代歌碑。「手の平に豆腐をのせていそいそといつもの角を曲がりて帰る」
吉野秀雄歌碑 瑞泉寺の文化財
吉野秀雄歌碑
吉野秀雄歌碑。「死をいとひ生をもおそれぬ人間のゆれ定まらぬこころ知るのみ」

瑞泉寺の文化財一覧

国指定重要文化財 木造夢窓国師坐像
鎌倉市文化財 千手観世音菩薩(鎌倉観音六番札所)/地蔵菩薩立像 俗称:どこもく地蔵尊(鎌倉地蔵七番礼所)/庚申塔/夢窓国師頂相/夢窓国師墨跡/固山和尚墨跡/竹斎読書図/西湖屏風図/書籍「大光明蔵」/書籍「扶桑五山記」/涅槃図/達磨図
歌碑・記念碑 山崎方代歌碑/吉野秀雄歌碑/久保田万太郎句碑/大宅壮一評論碑/吉田松陰留跡碑
鎌倉市天然記念物 フユザクラ/黄梅

ゆかりの文人

大宅 壮一(評論家)/大佛 次郎(小説家)/川端 康成(小説家)/立原 正秋(小説家)/永井 龍男(小説家)/高浜 虚子(俳人)/久米 正雄(小説家)/梶山 季之(小説家)/吉野 秀雄(歌人)/久保田 万太郎(小説家・劇作家・俳人)/山崎 方代(歌人)

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