名勝瑞泉寺庭園

紅葉ヶ谷を囲む三方の山が天然の垣根をなし、わずかに開けた西の空に富士山を仰ぐこの地を選び、天台山、錦屏山を背景として、夢窓国師は庭園を作られました。

鎌倉石の岩盤に地形に大いなる彫刻を施した「天女洞」

それは鎌倉石の岩盤に地形に応じ地質に即して巧みに大いなる彫刻をほどこした、鎌倉ならでは性格のものでした。境内の北の一隅の岩盤の正面に大きな洞(天女洞)を彫って水月観の道場となし、東側には坐禅のための窟(坐禅窟・葆光窟)を穿(うが)ちました。
天女洞の前には池を掘って貯清池と名づけ、池の中央は掘り残して島となしました。水流を東側に辿れば滝壺に水分け石があり、垂直の岩壁は滝、その上方をさらに辿れば貯水槽があって天水を蓄え、要に応じて水を落とせば坐雨観泉となるしつらえとなっています。池の西側には二つの橋がかかり、これを渡るとおのずから池の背後の山を辿る園路に導かれます。

二つの橋も数えて十八曲りに園路を登ると錦屏山の山頂に出て、私たちはそこにまた大きな庭と出会います。鶴ヶ岡から鎌倉周囲の山並みが幾重にも波状をなして重なり、遠くには箱根の山々がかすみ、右手に霊峰富士が大きく裾を広げる足下には、相模湾が自然の池をなしているのです、借景の大庭園の広がるこの山頂に夢窓国師は小亭を建て、界一覧亭と名づけました。

岩盤を彫刻的手法によって庭園となした「岩庭」

岩盤を彫刻的手法によって庭園となした、「岩庭」とも呼ぶべきこの庭園は、書院庭園のさきがけをなすものであり、鎌倉に残る鎌倉時代唯一の庭園なのです。

「天、尺地を封じて帰休を許す─天が私に小天地を与えて、心休まる時を下さった」と国師はこの風致を讚えておられます。また瑞泉寺については「瑞泉蘭若」と称されました。「蘭若(らんにゃ)」とは元来は梵語で「町村を去ること近からず遠からず、修行に適した所」の意ですが、転じて中国では官寺=公の寺に対して私寺を表すようになりました。「瑞泉蘭若」とは、ご自身が気に入って住まう庵、という意味になるでしょうか。

泉石草木の四気にかわる気色を工夫とする

国師はその著「夢中問答」で、山水(庭園)を愛するのは「泉石草木の四気にかわる気色を工夫とする」、つまり自身の心を磨く修行のためと述べておられます。難しいことはさておき、夢窓国師のこの庭園に対した時、あるいはこの境内全域に包まれている時、私たちは七朝の帝師の時空を超えた説法を、知らず聞いているのです。

なお、瑞泉寺境内を含む周辺地域は、鎌倉時代からの歴史的風土がよく保存されているところから、国の史跡瑞泉寺境内、また古都保存法による歴史的風土特別保存地区に指定されております。

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